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《特別インタビュー》 第1回(前編) 山本昌さんのこれからのはなし

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2017.06.23
《特別インタビュー》 第1回(前編) 山本昌さんのこれからのはなし

1984年より32年という長い間、プロ野球選手をつづけた山本昌さん。50歳を超えて引退してからは、野球評論家・解説者として、第二の人生を歩き始めている。
これからも充実した人生を送るために、仕事、健康や家族との暮らし、そしておかねに関して、山本昌さんがどのように考えているか、はなしを聞いた。

長くつづけてこられた仕事 (プロ野球選手)の秘訣

苦しいときこそプラス思考になる「べんりな頭」

-仕事をつづける中で、苦しいときもあったと思いますが、どうやって乗り越えたのでしょうか?

32年間の中で、たしかに苦しいときはいろいろありました。特に苦しかったのは、入団して4、5年目の頃ですね。自分がプロ野球選手としてやっていけるのかどうか、本当に悩みました。その時は、私に期待してプロ野球の世界に送り出してくれた、両親、学校関係者、友人、そしてチームメイトのためにも、がんばろう! と、不思議と前向きになれました。

それから、45歳を超えると、自分の子どもよりも年下の選手が入って来るようになりました。彼らと一緒に練習するのは、体力的にも、気持ち的にもなかなか厳しいものがありましたが、「負けてなるものか!」とより一層気合を入れて練習に打ち込みました。

でも、一言でいえば「へこたれている暇はなかった」ということです。がんばらなければクビになってしまうわけですから、苦しくてもやるしかないわけです。それに、もともと好きで始めた野球ですから、どんなに苦しいときでも「辞めたい」と思ったことは一度もありませんでした。

実は私は、普段はむしろマイナス思考なんです。順調なときほど「どうしようかな」「だいじょうぶかな」と考えることが多いのですが、どういうわけか、本当に苦しいときにこそ、プラス思考になります。「べんりな頭」をしていますよね(笑)。


-いろいろな人との出会いも、選手生活を支えていたようですね。

そのときその場所で、たくさんのすばらしい方に出会ってきました。アメリカの大リーグ・ドジャースとの交換留学へ行った際に出会った、球団オーナー補佐国際担当のアイク生原さんがそうですし、30歳の頃に出会ったトレーニングコーチの小山裕史さんもそうです。

私は「この人は信頼できる」と思うと、がむしゃらになってついて行くところがあります。いま思うと、そういう姿勢が相手に伝わることで、相手も自分を大事にしてくれるといった相乗効果があるような気がします。


自分と違った分野で何かを極めている人と出会うことで、いい影響を受ける

-趣味のラジコンと出会って、プロ野球選手としても影響を受けたようですね。

1995年にひざを痛めて手術をし、練習ができないときに、ラジコンと出会いました。始めてすぐ「これはいい趣味を持ったな」と思いました。

ラジコンが上手な人たちをよく見てみると、とても熱心で、徹底的に研究しているわけです。それで「自分もプロ野球選手として、もっと突き詰めなければ」という思いが深まりました。

自分と違った分野で何かを極めている、あるいは極めようと努力している人と出会うことで、とてもいい影響を受けることができたのです。私自身、もっと鍛えたり、より技術を高めたりするなど追求する余地がまだまだあるのではないかと強く感じました。

もちろん、趣味としても充分に楽しめるわけですから、私もずいぶん熱心にやって、それなりのレベルにまではいきました(笑)。

だからこそ自分でルールを決め、投げる2日前からはやらないことを徹底していました。


-意欲を長く持続できたのは、なぜですか?

40歳を超えると、ファンのみなさんからそれまでとは違った声援をいただくようになりました。「活躍が励みになります」「勇気をもらえます」という温かい声が、自分にとって何よりの「励み」と「勇気」になるわけです。そうしたこともあってか、いま振り返ると50歳に近づくにつれて、さらにやりがいを感じるようになっていたように思います。もちろん、球団が契約をつづけてくれる限りは、期待に応えなければならない、という使命感もありましたが。

よく「意欲が長くつづきますね」と聞かれましたが、私に限っていえば、現役を終えるまで、そうした意欲が衰えることはまったくありませんでした。


-7人の監督のもとで選手生活をつづけましたが、印象にのこっていることはありますか?

そうですね...。まず、星野仙一監督には、ずいぶん叱られました。「こんなことで叱られるのか」と思ったこともあります。でも、選手にとって一番のご褒美は試合につかってもらえることです。だから、いくら叱られても、それでも私をつかってくれる星野監督をいつも信頼していました。

30歳に差しかかるときの監督は、高木守道監督で、私をエースとして、また、ひとりの大人として尊重してくれました。信用してつかっていただいた分、恩返しをしたいと思いましたね。

山田久志監督も、とても厳しい監督でした。私がプロ野球通算200勝を前にして、足踏みしていたときに「がんばれ」と力強くいってもらい、直筆の手紙までいただいたことは忘れられません。

落合博満監督は、たいへん合理的な方で、力が上であれば年齢に関係なくつかう方針がうれしかったです。

改めて、どの監督にも厳しくしていただき、結果的にプロ野球人生をまっとうできたことを、私はみなさんに感謝しています。


タイプの違う上司(監督)によって接し方を変えることはなかった

-監督とは、いわば上司にあたると思いますが、それぞれにタイプの異なる方々に対し、接し方で心がけたことはありますか?

私は、監督によって接し方を変えるということはしませんでした。どの監督であっても、あくまで自分の力を示すことだけを心がけていたからです。言い換えるなら「つかわなきゃしょうがない」と監督に思わせることを肝に銘じていたのです。

プロ野球の選手として幸せなことは何かというと、それはやはり「優勝すること」です。私はいつでも「優勝したい」という気持ちで魂を込めてやっていましたから、結果的にそれがよかったのだと思っています。

そして、その時々のチーム内での自分の立場を理解して、役割を考えていました。いまは自分がエース格なのか、ベテランとしてチームをまとめなければならないのか、とか。これは2軍にいたときでも同じで、いまいる場所で自分がチームに貢献できることは何かということをいつも考えていました。


-現役時代の地域や社会との触れ合いには、どのようなものがありましたか?

私は神奈川県の茅ケ崎市出身ですので、地域貢献のために2009年から毎年8月の夏休み期間中、茅ヶ崎市や茅ヶ崎市野球協会などと協力して『山本昌広杯少年野球大会』を開催しています。

それから、広くファンの子どもたちに喜んでもらえればと思って、球場に『山本昌シート』というものをつくり、試合に子どもたちを招待していました。結局、一番楽しんでいるのは私自身かもしれませんが(笑)。


50歳を過ぎて、はじめてこれまでと違う一般社会に出る、という不安や緊張感

-現役を引退して、仕事はどう変わりましたか?

ありがたいことに、いまは野球評論家・解説者としての仕事を中心に、いろいろなことをさせていただいていますので、忙しさはそれほど変わりません。

でも、現役時代は、いつどんなことをすればいいのか、ルーティンがわかっていましたから、あの頃の方が楽だったかなといまは感じます(笑)。

もともと、引退した後のことを考えて野球をしていたわけではなかったので、自分がコメンテーターになる姿は想像していませんでした。それまで選手生活一筋でしたから、引退することになって、50歳を過ぎて、はじめてこれまでと違う一般社会に出る、という不安や緊張感がありました。

野球解説の仕事はだいぶ慣れましたが、野球以外でいろいろなメディアに出させていただく際には、現役時代とはまた違う緊張を感じることが、まだよくあります。


-今後は、どのような仕事をしたいと思っていますか?

現役を引退してから、野球に携わっていきたいという気持ちを、さらに強く持つようになりました。

いまは、野球評論家・解説者をさせていただいていますが、解説席から試合を見ると、改めて気づかされることがたくさんあります。さらに野球を勉強することで、つぎにまたユニフォームを着る機会があったとき、そうして培ったものを活かしたいと思っています。 

もし、指導者になれるとしたらそのときは、現役時代よりもさらに長い時間を野球に費やす覚悟はできています。選手たちよりも早く野球場に入り、一番遅く帰ることになるでしょうから。

ただ、指導者という立場はまだ経験がありませんので不安はあります。バッティングコーチはできませんし(笑)、ピッチングコーチを経験したうえで「監督に」というおはなしをいただければ、ということでしょうか。

いずれにしても、野球に携わりつづけるための意欲と思い入れは常に高く保っています。

(後編に続く)

野球評論家 山本昌さん(51)

1965年生まれ。神奈川県茅ヶ崎市出身。1984年に日本大学藤沢高校からドラフト5位でプロ野球中日ドラゴンズに入団。入団4年目にアメリカに野球留学し才能が開花。シーズン途中に帰国し1軍に定着。1994年沢村賞受賞。 2006年史上最年長41歳でノーヒットノーラン達成。以降、数々の歴代最年長記録を樹立。2008年通算200勝を歴代最年長の42歳で達成。2015年史上初の50歳での登板を最後に現役を引退。ドラゴンズ一筋でプロ生活32年。プロ通算219勝のうち140勝を30歳以降に記録し、40歳以降でも46勝を記録。現役引退後は野球評論家・解説者として活躍している。

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